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”つくだ”[佃]豆知識 |
当事務所が所在する大阪市西淀川区佃(つくだ)という地域は、実はかの徳川家康と深いつながりがあります。 |
佃一丁目にある田蓑神社の境内には徳川家康をまつった東照宮(とうしょうぐう)があります。 |
また、「佃漁民ゆかりの地」という記念碑が建っており、家康と佃地域の深いむすびつきを碑文に刻んでいます。 |
1586年、家康は住吉大社(大阪市住吉区)にお参りした後、多田神社(兵庫県川西市)へと向かいました。一行は神崎川を渡ろうとしたのですが、あいにく渡し船がありません。そこで、佃村と隣の大和田村の漁民が船を出し、家康一行を運んだそうです。
これが縁になって、家康と佃漁民の交流がはじまります。江戸時代のはじめ、徳川方と豊臣方が争った「大坂夏の陣・冬の陣」という大きないくさがありました(1614、1615年)。佃村の漁民たちは徳川方に味方し、武器などを運んだり、いくさに使う船や食べ物を集めたりしました。
1612年(1590年という説もある)、佃村・大和田村の漁民ら34人は江戸(いまの東京)によびよせられ、将軍家に新鮮な魚をおさめる仕事を与えられます。漁民たちは当初、安藤対馬守(あんどう・つしまのかみ)の屋敷内で暮らしていたのですが、その後、幕府から与えられた隅田川河口の干潟を埋め立て、そこに移り住みます(1644年)。
新しい島はふるさとの村にちなんで佃島と名付けられました。これが現在の東京都中央区佃島です。
漁民たちは江戸近辺の川や海で魚をとり、江戸城におさめました。あまった魚類は日本橋に店を出し、江戸の人々に売りました。これが後に、日本橋の魚河岸(うおがし/魚のおろし売り市場のこと)へと発展していきます。
みなさんは佃煮という食べ物を知っていますか。魚やこんぶをしょうゆで煮しめた食べ物です。この佃煮は佃の漁民が工夫を重ねて作り出したものです。
このような歴史を記念して、佃の小学生と東京の佃島の小学生の交歓会が1965年(昭和40年)から始まり現在も続いております。
参考・引用”私たちの地域 佃の歴史”
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